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聴  法  録  85

聴法録85-1

生活そのものが 煩悩である

私自体が 煩悩そのものであるのに
私が考える思い 言葉 行為において
真実は一つもない 煩悩から出るものは
形を変えても 自己肯定であり
自己中心であり 自己保身であるから

どんなに真実に見えても 私から出るものは
煩悩以外に何物でもない
ただ 光(智慧)によって そのことを
知らされるのみ 何一つ私から出るものに
真実はない
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

光に照らされて 己を深く知り
罪悪の深さに 頭が下がる
その時真実の 光に包まれて
いることを知らされる
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
聴法録85-2

大いなる生命に対して 無視し 背き
己の下に踏みつけて 道具化している
己を知ること これを 日常生活の中に
一刻一寸の中に 見出していく
自分中心に 生きている
自分を 照らし出されると いうこと

自分で自分を 知ることは出来ない
法によってのみ 照らし出される
その光が 南無阿弥陀仏である
悪人の我を 知ることである
いや知らされる ことである

煩悩を知らされること
これは 大いなる生命の
光明と智慧である
私自身の姿に 目が覚める
罪障が念仏になる
或いは 罪が私の 仏法の身体となる
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏