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| 聴 法 録 89 |
聴法録89-1
煩悩というのは「他の誰よりもわが身が可愛い」という心の働きの事です。
現代の言葉で言えばつまり「エゴ」です。
仏教は「いのち」を充実させる教えです「いのち」を充実させるというのは、人生に多くのものを詰め込もうと言う意味ではありません
そうではなくして、死ぬことえの不安が無くなり、安らかな心で生きられるようになると言うことです。そうなると「安心」を得ると言います。それはつまり、人生を味わって生きると言うことです。
「安心」を得ると言うのは、「此岸」で「彼岸」を生きること、「娑婆」で「浄土」を生きること、諸行無常の世界で「永遠の今」と同調することです。
「仏様」というと、私たちは、どこか遠い空の彼方にでもおられるように思っておりますけれども、そうではありません。私たちは、みんな「仏」なのです。「エゴ」に妨げられて、そのことに気づいていないだけなのです。
「此岸」と「彼岸」の間にあるのは、煩悩の川なのです。
苦しみの世界である「此岸」から「彼岸」に渡れば、楽になる。ところが、その間には、煩悩の川、「エゴ」の流れがあって、邪魔をしていて渡れない。「此岸」と「彼岸」がつながらないのは、間に「エゴ」があって、活発に働いているからです。「エゴ」は何をしているかと言えば、常に休みなく心の中でオシャベリをしています。常に自分中心の考え、想像、欲望、名利、意志、不安を抱いたりして、決して「今」のこの一瞬にとどまっていることなく「エゴ」に引きずり回されて、うろうろしているものですから、いつまでも楽にならないのです。
では、そんな「エゴ」の活動を止めるには、どうすればいいのか。それは、心の中の時間を止めればよいのです。「エゴ」は時間の中でしか活動できないということです。心の中の時間を止めると言うのは、心の中で絶え間なく続いている、「エゴ」のオシャベリを止めると言うことです。それは「今」此の一瞬に集中すること、そうすれば煩悩の入ってくる余地が無くなります。そうなると心の中の時間が止まるのです。
心の中の時間が止まればどうなるのか。心の中の時間が止まれば、現象世界の「今」が、仏の世界の「永遠の今」と同調して、「此岸」の中に「彼岸」が流れ込んできます。心の中の時間が止まって、「今」にピッタリと同調したとき、「永遠の今」を感じる。その時、「諸行無常」の中にこそ「永遠」があること、「娑婆」の中にこそ「浄土」があることに気づくのかもしれません。
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